性別にとらわれずに生きる
再放送のハートネットTVを観ました。
今回は「性別にとらわれず生きる」で、男でもあり、女でもある
「ま~ちゃんさん」(城田勝さん)の回でした。
冒頭から化粧をしていて「今日は男ですね」と一言呟くのを見て、
ああ、その気持ち分かる!と思ってしまいました。
そういう気持ちが生まれるのは、その日の身体や心の状態の揺らぎであって、
他の人から見れば大した問題ではないのかも知れませんけれど、
私にとっては何かから突き落とされる、軽い絶望のようなもの。
そういう「望んでいない男の部分」に自分らしく対応していく姿をみて、
今の私には出来ない部分だなと思ってしまいました。
「男じゃないけれど、女って言いきれない今の私」をMtXと自称しているだけで、
この状態がぬるぬると続いていくわけではないと思っています。
今後、それまで分からなかった自分が、たった数回のカウンセリングで
劇的に変わるとは言い切れませんし、次にくる過程に
(例えば服装や仕事のこと、身体を変化させること、それと家族との関係のこと)
「まだ頑張らなくちゃいけないのか…」と、体力が続くのかも疑問。
今は目の前の仕事に追われ、覚えることも思い出すこともたくさんあって、
性別のことは一旦棚上げにしている状態です。だからフラットなのです。
でもフラットな私に、どうしても納得がいかないのは事実。
そこで立ち止まるほど、温い問題ではありませんし。
私も「ま~ちゃんさん」と同じように10代後半、死を深く意識したことがあります。
その悩みは今以上に深すぎて、今でも断続的にやってしまうオーバードーズや、
二回ほど経験済みの飛び降り(3階からはどうやったって死ねません)
そうやって死ぬことをもって、解決しようとした時期もありました。
けれど目の前で飛び降りようとしていた知らない後輩に「ま~ちゃんさん」は
「まだ十数年しか生きていないだろ!」と言ったのには、
少しショックを受けてしまいました。
世界中を見渡せば男や女の性以外にも
「第三の性」と呼ばれる人たちが確実に存在しています。
(例えばインドの「ヒジュラ」やメキシコの「ムシェ」など)
日本ではここ数十年ほど前から、性的少数者という人たちが表面に出てきて、
認知度は進んでも、理解が進んだかと言われれば大いに疑問です。
そして嫌悪感を抱く人たちの大半は、それが「その人の全て」かのように勘違いして、
考えること、理解することを止めてしまいがちです。
「あくまでその人が男か、女か、そういうのは入り口に過ぎない」と
後半に答えていた「ま~ちゃんさん」の言葉、誰にとっても大事だと思いました。
もっと性別にとらわれない、あるいは寛容な生活が見え始めたら、
私もMtXなんて自称しなくて済むかもしれませんね。
「あの人変わってる」と言われるのは別に気にはしませんが、
変わり者ではなくて、性別にゆるく生きていると思われたいですね。