今朝の体調、少し思ったこと

性別迷子(MtX)でパニック障害持ちの図書館職員。逃げ出したカウンセリングを今年中に再開したいです。早く男から離れたーい!

文章、下手くそなんですから

文章を書くのに、毎日四苦八苦しています。

なんでもいい、短くても毎日文章を書こう!と実行しながらも、

何か高尚な事を書かなくてはいけないのかしらと、とんだ勘違いをしてしまう。

人の目に触れるのだからと思うと、何か背伸びをしがちです。

 

個人の日常なんて取るに足らないものばかり。

毎日イベントやセンセーショナルな出来事に囲まれているわけがなく、

淡々と時間が過ぎて、一日が終わっていく。

雑記に書けるのは、その個人の素直な暮らしなのだなとつくづく思う。

 

それでも文章を書くのは、どうにも苦手なのですが、

新聞の社説や書評、小説などを読むと、独りよがりな文章、

お前読んでみろよという上から目線の文章は、大抵読みにくい。

音楽について勉強しているとき

「自分が歌えなければ、どんなに頑張っても弾けない」と言われていて、

それは文章にも通じるものがあると思います。

リズムであったり、間であったり、マナーであったり、そういうことでしょうか。

 

まずは、自分の書いた文章を、一度音読でもしてから投稿してみましょうか。

 

 

 

 

そういう風に見える

どうにもこうにも手が、それも右手だけが震えてしまいます。

 

「それって腱鞘炎ですかぁ?」

一つ下の同僚Sさん(ショートで長身の美人さん)が聞いてきました。

「私がスポーツでもしそうに見えます?」

「うーん見えませんねぇ」

「あれです、書痙みたいなのです。私、パニック持ちなんで」

 

少しばかり「パニック持ち」なんていう単語に引け目を持っているけれど、

別に知られたくない、そういうのは持っていないので、

あくまで軽く、さりげなく、伝えるようにしています。

 

「ええーそうなんですか、じゃあ何か起きたら、蹴りでも入れてあげますか?」

「えっ、怖っ!」

「冗談ですよぉ」

ひょろりとしたSさんが傾き気味にしながら笑うと、

「でも、そういう風に見えてましたからぁ」

と付け加えたので、え?そんな風に見えてるの自分?と気になってしまいました。

 

笑顔が少ないのかしら、表情が単調なのかもしれないし、

声も時折詰まったり、くぐもったりするから、そんなのひっくるめて、

そういう風に=神経質とか心配症とかの雰囲気をしているのだろうな。

でも簡単には治らない、意識したらしたで、すぐにバランスを悪くしてしまう。

経験がそこそこあるにも関わらず、接客業が未だに分からなくなってしまうのです。

 

それでも、バーコードスキャナを持ち、手を震わせてなんとかやっております。

自分自身に毎回、幻滅しながら。

 

 

 

本を読むホームレス

「すごく服装の汚らしい人が、書架を歩いている」

防犯カメラのモニターに映ったその人の姿を見て、ホームレスの人だと直感。

「他の人に、なにか変な事しなければいいけれど…」

 

書店はお金が無くても入ることができて、なおかつ時間も潰せます。

暑ければ涼を、寒ければ暖が取れる、稀有な場所。

前に勤めていた書店は朝早くから夜の9時まで、年中無休でした。

そのため幅広く人が来店し、ホームレスの人もまた普通に立ち読みをしていたのです。

彼らの服装は様々。

冬なのにサンダルを履き、ボサボサの髪を掻いている人もいれば、

スーツ、けれどシャツは変色して、スーツケースを引きずる人もいました。

大抵そういう人たちは、本格的な冬が来る前に暖かい方面へと行く、と聞きます。

 

けれど冬を越せなかった人たち、「ああ、その人なら死んだよ」と

巡回している警備の人や警察官から何度か聞かされたものです。

 

今日のホームレスの人は、ろうあ者のようで、手振りで紙とペンを求めました。

(そういえば、ジッと私を見て、それから迷ったように寄ってきました)

筆談、たどたどしい文字。

けれど内容は「ここの図書館の案内が欲しい」

拍子抜けと同時に、前述の誰かの言葉が、恥ずかしくなってしまいました。

 

後から聞いたのですが、何かおかしなことをしていたわけではなく、

ボーっと本棚を眺め、それから学術的な書籍を読んでいたみたいです。

もしかしたら、障害や何らかの理由で零れ落ち、流れ、

たまたま通った図書館が目に入った、そんなところでしょうか?

今のところ涼しいとはいえ、公園などで水を汲むための大きなペットボトル、

雨をしのぐのには貧弱なジャンパー、破れかかったズボン、

それでは生活は過酷だと思います。

 

もちろん館内の環境が悪くなる、という声があるのは分かりますし、

生半可な優しさで彼らを見ることは、お互い気持ちのいいものではないでしょう。

私たちが上から目線で応対するのもいかがなものでしょうか。

けれども、純粋に本を読みに来たんだ、そういうのを奪い去ろうとするのは、

何かが違う、そういう気がしました。

 

今日のホームレスは最後、何度も何度も頭を下げていました。

また何処かで、本を読める環境にたどり着いて欲しいと思いました。

 

 

 

 

手を握るって…

昨日は私のパニック症状。

今日は同僚Kさんのパニック症状。

とにかく頑張り屋さんのKさん、頑張りすぎて(利用者はどうやら質問魔)

コントロール不能になってしまい、うずくまってしまいました。

 

けれど、いざ目の当たりにすると、ええと、どうしたらいいのかしら?と

この経験者は全くと言っていい程動けないのです。役立たず。

その二、三秒、いろいろな物が目に入って、

浮いていたKさんの左手を見て、私はその手をギュッと握ってあげました。

例えば背中をさすったり、肩を軽くトントンしたり、そういう方法もあったのに、

冷たくなっている手を包んであげることにしました。

 

この接し方は落ち着かせる、という意味で当たっているようなのですが、

引っかかったのは「手を握る行為」の方でしょうか。

これってなんだか男臭くない?ってそちらのほうへ意識がいってしまい、

しばらく仕事に手が付かず。

 

でもあれですよ!例えば人込みではぐれないようにとか、

手を握ったのは、そういう意味なのです!

そう言い聞かせても、書いているこの瞬間も混乱している私。

役立たずな上に、こういう時、変に不便なのです。

パニック症状、出てしまいました

私の悪い癖、とにかく我慢してしまう事。

今日、起きてしまいました、パニック症状。

 

キューっと胸が締め付けられる感覚がだんだんと短くなってきて、

それでも図書館のカウンター業務からうまく抜け出せず(お盆なのに人多すぎで)。

 

だんだんと手先が痺れて、頭は白っぽく、息が続かなくて声がうまく出せなくて、

グラグラの身体と半泣き状態の私。

同僚Kさんに「無理しないで休んでください!」と言われ、

ポケットにあった安定剤を飲みました(ところでこの安定剤苦すぎです)

 

ただ、今回はそこまで長引かなかったのは、フォローしていただける職員が多くて、

冷静を取り戻す時間が短くすんだ、これが大きいのかなと思いました。

前の書店員の時とは比べ物にならない、良き環境です。

 

お昼休みは眠気のあまり、ひっくり返ってましたが。

 

すみません…未だに身体がだるくて、だるくて…。

しまらない雑記ですが、これでおやすみなさい。

 

 

 

 

性別にとらわれずに生きる

再放送のハートネットTVを観ました。

今回は「性別にとらわれず生きる」で、男でもあり、女でもある

「ま~ちゃんさん」(城田勝さん)の回でした。

 

冒頭から化粧をしていて「今日は男ですね」と一言呟くのを見て、

ああ、その気持ち分かる!と思ってしまいました。

そういう気持ちが生まれるのは、その日の身体や心の状態の揺らぎであって、

他の人から見れば大した問題ではないのかも知れませんけれど、

私にとっては何かから突き落とされる、軽い絶望のようなもの。

そういう「望んでいない男の部分」に自分らしく対応していく姿をみて、

今の私には出来ない部分だなと思ってしまいました。

 

「男じゃないけれど、女って言いきれない今の私」をMtXと自称しているだけで、

この状態がぬるぬると続いていくわけではないと思っています。

今後、それまで分からなかった自分が、たった数回のカウンセリングで

劇的に変わるとは言い切れませんし、次にくる過程に

(例えば服装や仕事のこと、身体を変化させること、それと家族との関係のこと)

「まだ頑張らなくちゃいけないのか…」と、体力が続くのかも疑問。

 

今は目の前の仕事に追われ、覚えることも思い出すこともたくさんあって、

性別のことは一旦棚上げにしている状態です。だからフラットなのです。

でもフラットな私に、どうしても納得がいかないのは事実。

そこで立ち止まるほど、温い問題ではありませんし。

 

私も「ま~ちゃんさん」と同じように10代後半、死を深く意識したことがあります。

その悩みは今以上に深すぎて、今でも断続的にやってしまうオーバードーズや、

二回ほど経験済みの飛び降り(3階からはどうやったって死ねません)

そうやって死ぬことをもって、解決しようとした時期もありました。

けれど目の前で飛び降りようとしていた知らない後輩に「ま~ちゃんさん」は

「まだ十数年しか生きていないだろ!」と言ったのには、

少しショックを受けてしまいました。

 

世界中を見渡せば男や女の性以外にも

「第三の性」と呼ばれる人たちが確実に存在しています。

(例えばインドの「ヒジュラ」やメキシコの「ムシェ」など)

日本ではここ数十年ほど前から、性的少数者という人たちが表面に出てきて、

認知度は進んでも、理解が進んだかと言われれば大いに疑問です。

そして嫌悪感を抱く人たちの大半は、それが「その人の全て」かのように勘違いして、

考えること、理解することを止めてしまいがちです。

「あくまでその人が男か、女か、そういうのは入り口に過ぎない」と

後半に答えていた「ま~ちゃんさん」の言葉、誰にとっても大事だと思いました。

 

もっと性別にとらわれない、あるいは寛容な生活が見え始めたら、

私もMtXなんて自称しなくて済むかもしれませんね。

「あの人変わってる」と言われるのは別に気にはしませんが、

変わり者ではなくて、性別にゆるく生きていると思われたいですね。

 

突然の…

「…もしかして、○○さん(私の苗字)ってLGBTの人ですか?」

知らずしらずの内に、話の端々にバラまいていたのは認めますが、

唐突すぎて私、一瞬息が止まってうまく繋げられず。

 

「いやーなんとなく、なんですけれど、友達にそんな人がいるんで」

と言われると、確かに案外近くにいる、

というかオープンに出来る人が増えたような(あくまで個人的感覚で)

 

「○○さんと話していると、他の男性と、雰囲気も話し方も違うなって」

「…うん、まあ、そうだね」

 

とりあえず「そのうち…」と言いつつも、

「性別迷子」という単語を使い、私を濁してみました。

この単語、案外使い方が難しいのかもと、ふと思ってしまったり。

 

その子はいつもテンションが高く、私の友人にも似てる方がいるので、

思い切って聞いてみると「不安障害」みたい。

「頑張らないで仕事出来ればいいのにね」とお互い笑ってしまいました。

 

どっと疲れた、休み前の図書館勤務。